じわじわと

 いやー、まだ体調悪いですー。勉強もあまりはかどっていませんが、とりあえず体の方を回復させるのが一番だと思っています。国家試験はリタイアしました。体力が無かった。体を壊してまで続ける試験ではないので、この辺にしておこうと思いました。この5年間は一体何だったんだ、とは思いません。非常に有意義な5年間でした。これまでの勉強が徒労に帰した喪失感みたいなのもないです。そもそも徒労ではなかったので。ただ、やっぱり自分の夢が壊れたのが痛かったですね。法学者になるという夢が壊れたのが痛かった。正直、試験そのものはどうでもよかったのです。ただ、法律を学問的に追求したかった、それだけです。年齢制限がまだ大丈夫で、かつ実家から一番近いのが宮城県なので、そこの公務員になろうと思っています。その勉強をし始めたのですがなかなかはかどらないわー。この調子では間に合わないですねー。かと言って無理できる体調でもないし。まあ、なるようになるでしょう。ちょっと余裕こいて評論とか小説とか詩とか読んでますわ。山城むつみ『ドストエフスキー』はとにかく凄いので、これは読まないと。

さくら

すべてを失くしてからは
どうでもいいと思えた
枯れてしまった桜の花
かき集めているんだろう

くだらない程 盛り上がった
無邪気な季節は過ぎた
昨日が未来のかけらなら
明日だって思い出だろう

悲しくて 悲しくて
涙さえも 笑う
優しさも 愛おしさも
笑い転げてしまうのに

さよなら さよなら
さよなら さよならだけ

ーーSyrup16g「さくら」より

夢破れて

 しほうしけんですが、今年一応受けてきてそれで終わりにしようと思います。今年受かる可能性は低いです。だから、合格を前提とした大学院進学は無しになりました。まあ、刑法学と法哲学を極めたいという僕の夢は破れてしまったわけです。単純に、この試験には向いてなかったのだと思います。

 これから僕はちほうじょうきゅうの試験の勉強にシフトしていきます。といっても、試験が間近なので勉強が間に合いそうにないです。何とか滑り込みたいのですが。

 そして、新しい夢。地方公務員の仕事の合間に勉強して評論書いて批評家になりたい。

nikki

 試験受けたくない。なんというか、勉強を十分やりきった感が無いし、受かる自信もない。根本的にエネルギーが不足している。どうせ受けてもたくいつおちだろうな、とか思ったり。何のために受けるのか分からない。せめてたくいつは通過したいが、それすら危ういので受ける気がしない。試験を受けても途中で体力が切れてしまって最後まで受けららない気がする。要するに、試験の結果に希望があまりもてない。そんな試験を受けるのが面倒だ。ああ、受けたくない。逃げたい。だがここで逃げたら人間として終わってる気がする。こういう困難な状況でどう立ち向かえるか、それが重要だ。まあ、来年もあるんだから、今年は模試感覚で受けてくるとかもありだ。受けたあとは絶対得した気分になっているはず。だからやっぱり受けた方がいいんだろうな。それに、ここで逃げたら本当にいろんな人からお叱りを受けてしまう。それを考えたら受けざるを得ない。

こんにちは

 風が西から東へと吹いたかと思うと、今度は東から西へと吹いてきた。私は故郷の山の頂にいる。空にはいくつも島が浮いている。それらの島に一つずつ倦怠の印を押しつける。これまで日々は規則正しい軌道をなぞっていて、その軌道がもはや傷のように人生に刻まれていた。ところが私はその傷からそれてしまった。傷が痛かったのか、それともこれ以上傷を深くしたくなかったのか。私は今度は別の軌道を描き始めた。そして、山の頂にいる。外れた軌道の行きつく先が、この山頂だった。いくつもの幻が、溢れんばかりに目の前に展開されていく。幼時、友達とともに駆け回っている自分、それだけでも幾パターンもある。N君と彼の父親とともに登ったときのこと。その他何度も近所の友達と遊んだときの映像。そして、高校時代に読書をしに来た自分、それだけでも幾パターンもある。あるときは社屋の陰で、あるときは地面に寝そべって、あるときはベンチに座って。そしてやはり空に浮かぶたくさんの島を眺めていると、この島はこれまでの日々の澱の様なものなのか、それとも浮遊するようにして妨げる今の疲労の象徴なのか、それとも未来の障害を予兆しているのか、分からなくなる。それでも今度はまなざしが島に吸い取られて死んでいくのを記憶しないように努める。「疲労よ、こんにちは。」

成熟(各論)

 では、成熟とは具体的にはどのような状態のことを言うのでしょうか。私の狭い人生経験からすると、以下のようなものが挙げられると思います。

(1)利己主義から利他主義への転化
 何でもかんでも自分のため、自分の快楽のためと考えているのはまだ幼い。まず、自分の現在がいかに多くの人や物によって形成されてきたか、その事実を素直にリスペクトすることから始めます。そうして、自分の言動がいかに多くの人に影響を与えるかを自覚する。そうすると、もはや、自分の言動は他人を利したり害したりするものだし、また自分は言動でもって他人に恩返ししなければならない。そうである以上、自分のために生きることはできなくなります。他人のために生きるのが原則となるわけです。

(2)相対化
 自分自身の信条が絶対的だ、自分自身の職業や目指す職業が絶対的だ、という考えを無くすこと。世の中にはいろんなタイプの人がいろんな環境で育って色んな仕事をしています。そういう人と自らの間に越え難い溝を作らないこと。多様性を認め、自分が特権的でないことに気づくこと。

(3)打たれ強さ
 ときには他人から攻撃されることもあるでしょうが、そのようなときに自分で自分の心理をコントロールして早く傷を治癒することができる能力。いつまでも傷ついていると自分が一番苦しいだろうし、その傷に触れてきた人に過敏な反応を取ったりすることになります。そうならないように早く対処する。

(4)柔軟さ
 色んな人と接する機会があるわけですが、相手に合わせた対応をその都度とっていくスキルですね。その都度の状況にうまく合わせるスキルともいえます。これは利他主義と絡んでいて、自分を相対化できているからこそ相手のニーズにも合わせることができるのです。

(5)健全な自己愛
 これは、自分を相対化した上でもなお残る自己愛です。自分はどこにでもいる普通の人だと分かっていても、それでも自分を普通に愛し続けて、自分を普通に大事にすることができる。身の丈以上のことを求めないから、その高い地点から見下ろして自分を否定することがなくなるのですね。自分は大したことはない、でもそんな大したことのない自分はいとおしい。

(6)社会の内面化
 自分が社会から独立して生きているわけではなく、もう自分の生活のいたるところに社会が入り込んでいることの自覚です。社会に対する適切な問題意識や、社会に対する自らの意見を形成して、選挙などで自らの社会の中の人としての意思表示をしていく。

うつか疲労か

 ここのところ、体力の低下で勉強に支障をきたすようになったので、1か月前に医者に行ったら、「疲労ですから2週間以上休んで下さい」と言われました。実際はそんなにきちんと休まず、よくなったらちょこちょこ勉強し、疲れてまた休むということを繰り返しました。でもそれが1カ月続くので、さすがにこれは病気ではないかと疑い始めました。

 それでネットで沢山調べて、結局Wikiを参照するわけですが、「抑鬱気分」と「興味・喜びの喪失」が主要な精神症状らしいですね。ところが、抑鬱と言うほど落ち込んでいるわけではないし、興味・喜びは十分にあるんです。抑鬱に代わるものとして「無価値観」が挙げられていましたが、今の私は昔ほど自分を否定していません。最近は肯定することの方が多い。身体症状としては、睡眠障害があるのでこれはあてはまる。これらを考えると、どうも自分はうつとは思えない。

 さらに、仮に自分の状態が重いと仮定しても、うつ症状を引き起こすものとして、うつではなくても、心因的なものや季節的なものが挙げられている。多分私は国家試験の圧力という心因的なものと季節的な身体変動の組み合わせと疲労で、うつ症状に似たものが出ているようだ。

 とすると、やはり医者が言ったように疲労だと解するのがよさそうだ。火曜日にまた医者に行ってくるので、そこで診断されるだろう。楽しみだ。

減衰

減衰

あらゆる反論を撥ね退けて
水は土に変わっていった
もはや流れることも気化することもなく
一つの塊となってどこまでも落下していく
その落下の速度が一定になり
遂に運動は固まった

土くれの落下する軌道には
あらゆる知識と感情があったが
土くれはただ落下するだけ
人々ともすれ違い
木々とも接することなく
方向は決まってしまった

土くれはだが待望している
落下の先に大地のあることを
そしてその大地の上を再び流れ
太陽を浴び気化することを

成熟

 成熟って何だろう、と最近思います。僕は割と簡単な答えを用意していて、それは、外界の刺激に対して、自分に対しても、相手に対しても、社会に対しても、適切な反応ができるということだと思っています。例えば自分のプライドが傷つけられた場合、まずは自分の傷を治癒することができることが成熟の証でしょうし、相手に対して相手を傷つけないようにかつ自分に害を与えないようにそっと諭すことが成熟の証でしょうし、犯罪などで反撃をせず社会を騒がせないというのも成熟の証でしょう。要するに、物事に対して、自分にも相手にも社会にも有用なように自分の行動を導いていけるのが成熟の証だと思います。

 だから、これには試行錯誤と経験が必要です。実際に様々な刺激が与えられ、新しい刺激が来るたび悩んで答えを出していく、そしてその答えがみんなにとって有用であったことを確認する、この繰り返しによって、徐々に刺激に対する適切な反応を身につけていくのです。

 だからと言って、成熟は単なる実践理性にのみ関わることだとは思いません。むしろ、体系的な価値体系や道徳信念、思想、そういう理論理性とも密接に結びついていて、実践はいわば理論を実験する場所とでもいえると思います。刺激反応を繰り返すことで、人の中には人生訓のような理論が出来上がってきて、これが各人の行動パターンとなるわけですが、それが正しいかどうかが、常に実践によって試されるわけですね。だから、成熟というのは、外界からの刺激に対して適切な反応をすべく人生訓を形成していき、その人生訓を実践において常に実験していく、そういう過程なのだと思います。成熟というのは状態というより多分過程のことだと思います。



地面とじかに触れ合う春は
たった一つの落し物をした
そのたった一つの落し物が
みるみるうちに散らばっていって
こんなに豊かな花々になった
花々は凍り続ける
大気が花々を許すその日まで

人々の幻想の中に
新たな種をまいて
花々はいくつもの仕掛けの中に紛れ込む
人々は幻想の海の中で
花々を解体する
花々が人々の脚や眼になるように

花は生まれてくるときに
決して守れない約束をした
花は開くときに
誰にも届かない挨拶をした
花は光をふりまくときに
ここではない宇宙で再び生まれようとした



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sk

Author:sk
法律を勉強中。たまに詩を書いたりもする(筆名「広田修」)。哲学が好き。
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