BUMP OF CHICKENの歌詞が良いとされるひとつの理由は、それが我々の強い感情、特に痛みを伴う経験を追体験させ、それを擁護するからだ。
やっと会えた 君は誰だい? あぁ そういえば 君は僕だ 大嫌いな 弱い僕を ずっと前に ここで置き去りにしたんだ (「ダイヤモンド」より)
人は子供から大人になるまでの一時期、何らかの形で追い詰められ、弱い自分を捨て去ることを強いられる。だがそれには苦しみを伴う。他人に依存し、他人に助けてもらうという楽な立場から、覚悟を持って世界へと立ち向かう立場へと移動しなければならない。それには美しく弱い自分を喪失する痛みを伴う。荒風に立ち向かう強さを得るために汚れなければいけないからだ。
弱い自分を置き去りにすることは、そのようなとても感情的なできごとであり、それが強いられた強い痛みであるゆえ人はそのことにいつまでたっても執着する。藤原はそのような執着された感情的な出来事を歌詞として提示することで、聴く者にそのドラマを追体験させ、その体験が多くの人と共有されたものであることを示し、またその体験を擁護する。藤原は執着された感情的な出来事を示すだけだが、それは肯定的に示しているのであり、間違っても否定することはない。
弱い自分を置き去りにするような、個人史的なドラマを再び体験させ、かつそれを普遍的なものとして擁護する。聴く者は感情を揺さぶられると同時に慰撫され、優しい感傷に浸ることができる。恐るべき作詞技術だ。
|