<現在という流れの体系性は、潜在的な差異によって作られている。潜在的な差異が分化して現実化すると流れではなくなる。>
<この潜在的な差異とは、「内面的潜勢力」のことである。というのも、力もまたそのものとしては潜在的なものであり、それが現実化したときは痕跡にしかならないからである。>
<ベルクソンにおいては、潜在的な差異とは、現実世界の多様な変化を生み出す未決定性という力である。>
<さらに、潜在的なものとは「概念の一般性其者」である。個体として実現される事態の背景に横たわる全体である。>
さて、この箇所に見られるのは、厳密な演繹ではなく、アナロジーによる概念の偶然的な拡張である。潜在的な差異は確かに潜在性において力に類似する。だが、力が結果を引き起こす動的な原因であるのに対して、差異は静的な関係であり、結果を引き起こすものではない。
西田はどうやら潜在的な差異そのものが力として変化を生み出すと考えているようだが、潜在的な差異は必ずしも自ら変化を生み出す必要はない。変化は潜在的な差異ではない外的なものの力によって引き起こされるのだと考えても良かったはずである。
力は現実化すると、力そのものではなく、ただ力の痕跡となってしまう。だが、力は自ら現実化するのであって、他の何者かの助力を得るのではない。それに対して、潜在的な差異が顕在化するとき、人間の認識というものが介在する。潜在的な差異は自ら現実化するのではないのである。
「潜在的な差異」と「力」を安易にアナロジーで同一視するのは危険すぎる。 テーマ:哲学/倫理学 - ジャンル:学問・文化・芸術
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