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Author:sk
28歳。男。たまに詩を書いたりもする(筆名「広田修」)。哲学が好き。
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Albatros BLOG
日々の雑記。現代詩の話や哲学の話。文学や音楽、美術、芸術一般の話。ただただ書き捨てていくだけ。
国一の一次
 仙台で受けてきた。朝から鬱状態で、電車には酔うし、棄権して帰ろうかとも思った。だが教養試験の数学の問題を解き始めたらやる気が出てきた。解いていて面白いのはやっぱり数学や物理の問題だ。文章の要旨を問う問題なんてそれほど面白くない。やっぱり自分は基本的に理系なんだと思う。

 専門試験はとにかく疲れた。3時間半法律の問題と取り組むわけで、読む文章の量が半端じゃない。経済学の問題に癒された。やっぱり俺って理系なのかも。

 家に帰ってから新日曜美術館を見た。ゴヤが魔女をたくさん描いてましたというお話。いつもながらおもしろい番組だった。今はとにかく眠い。疲れた。

 友達と会う約束をした。この春から就職して今は研修の時期だそうだ。自分は生き遅れているんじゃないかと思う。今日の受験者もみんな若かったし。なんかもうおっさんになってしまった気分だ。

 もういいや。寝よう。
やる気なし
 明日は公務員試験だが、まるで勉強をする気がしない。ネットにつないだりごろごろしたりしている。大学受験の直前期もこうだったような気がする。

 実家は薪で風呂を焚いている。果樹農家だから、要らなくなった果樹を切り倒して、それをチェーンソーで40cmぐらいずつに切って、薪割り機で割る。今年切った林檎の木が、まだ割られてないまま置いてあるが、その切り口からすっぱいような独特のにおいが立っている。

 果実は内側もにおうが、外側もにおう。それに対して、果樹は外側はにおわない。普通に立っている木は特にそれほどにおったりはしない。だが、内側にはにおいを、本質を隠し持っていたのだ。果樹は果実よりもみずからを抑制している。それゆえ、木の切断面からのにおいにはある種の神秘性が感じられる。

 何か、知ってはいけないものを知ってしまったような気がする。木は人間ではないのに。誰かが必死に隠していたものごとを、偶然知ってしまった時のように。
現代詩手帖5月号
 さて、現代詩手帖賞だが、予想通り最果タヒさんと望月遊馬さんだった。これからの活躍に期待する。
 この二人は私より6つ7つ若いが、書いてきた詩の絶対数や、毎回の投稿数は私なんかより多い。私に比べて、詩に対してずっと誠実なのではないかと思われる。

 今回は初めて二編入選した。「啓示」と「夜」である。「啓示」は自分でも面白い作品なんじゃないかと思っていた。実際、これまでとは違った形式で書いたものだ。作品に先立つテーマや思想はなく、本当に遊びで書いたような詩である。「夜」は後で読み返したらあざとい感じがしたので、私としては失敗作だったが、武田氏は高く評価してくれたようだ。ありがたいです。

 11月号の前例があるから今回も手厳しく批判されているだろうと覚悟していたら、案の定批判されていた。誇大妄想はもちろんわざとやっているわけで、ひとつの詩法である。確かに独善的になる嫌いはある。難しいところだ。
 詩に癒しがないというのはもっともな指摘である。私は岩成達也が好きなように、観念的な詩というものを好むところがある。自分も観念的な詩を書きたいとも思う。情緒に訴えるような詩を書こうとは思ったことがない。
 松尾さんの社会性がないというような指摘は、私が無職なことを知っているからだろうと思う。だが私はそれなりの修羅場もくぐっているし、バイトも色々経験してきた。だが、反社会的な気質を持っていることは事実だ。幻想的、観念的な詩の中に社会を持ち込むのは難しいように思う。日常を描いた詩ならば簡単だと思うが。
 まあ、叱咤激励の言葉と受け止め、これからも精進していきたい。

テーマ:詩・和歌(短歌・俳句・川柳)など - ジャンル:学問・文化・芸術

無理
 公務員試験が間近だが、過去問が終わらない。というか、終わらせるのは絶対無理なことが分かった。去年より点数が落ちそうだ。こんなことなら刑訴や商法なんかやってるんじゃなかった。完璧主義の私としてはまったく不本意な事態だ。まあでも落ちてもいい試験だからね。気楽に行きましょう。

 高岡修の「犀」を犀読してみたが、やはり良い。レトリックが突き刺さってくる。それで、突き刺さってきたと思ったものは実は顆粒状のもので、しかもそれは快楽の顆粒なのだ。「犀」は、恐らく高岡自身にも激しく跳ね返っていった詩集であるに違いない。私はきらめきながら飛散するイメージ群を手のひらに集めるのに必死になった。だが、所詮てのひらにとどめておくことはかなわなかった。それらのイメージ群が、どこか高熱の場所へとひたすらに落ちていくのを見届けるので精一杯だった。

 公務員試験はもう諦めよう。高得点とろうなんて野望は捨ててしまおう。何かもう受ける気がなくなってしまった。それでもいいんじゃないか。
journal

And after it rains
There's a rainbow
And all of the colors are black
It's not that the colors aren't there
It's just imagination they lack
--Paul Simon, My Little Town


Simon & Garfunkelの曲から歌詞を抜粋。「色がないわけじゃないんだけど、みんな想像力がないから虹は真っ黒だ」

故郷の町の人々は惰性で生きていて想像力もないから色すら見ることができない。もちろんこれは誇張だが、ルーティンを繰り返すことに日々を費やしていると、まじまじと色を鑑賞することもなくなってしまうのかもしれない。私たちも、普段真っ黒な世界を生きているのかもしれない。事物の色合いの美しさや醜さ、細やかさにたいして注意を払っていないとすれば。

私なら「黒」ではなく「透明」と言うかもしれない。黒は一つの積極的な色であり、私たちが注意して鑑賞することができるものだから。色が意識されないのなら色はないのであり、色がないのならそれは透明であろう。


特に夕焼けが見えるわけでもない夕暮れに、空を見たら意外と青かった。建物や木などはほとんど真っ黒なのに、空だけが冷淡に青かった。

歯医者に行ったら、天井が斜めになっていた。斜めの感覚というのはどう表現したらよいのだろう。垂直や水平に慣れている私たちに対して、斜めの面は何かを押し付けようとしてくる。垂直や水平に支配された私たちの空間体験が、実は特殊なものだったことに気づかせられる。斜めに支配された空間体験の可能性を提示することで、垂直・水平の空間体験を相対化しているのだろう。
国一過去問行政法(6)
<作用法的機関概念>
 行政機関:権限の帰属者
 対外的権限を行使するものを中核的行政機関とし、それを補助する機関(補助機関・諮問機関・執行機関)を周辺に配置。
 行政行為等行政庁による国家意思の発動を念頭においている。それゆえ、行政調査・行政計画・行政指導の規律には適さない。

<地方自治法>
 「執行機関」が長・委員会などであり、長の補助機関として副知事・助役などが置かれているので、作用法的。

<審議会>
 不服審査等を司る審議会の中には、決定が国家意思として外部に表示される、作用法的な機関もある。

<権限の代理>
 やむをえない場合に必要最小限の範囲で認められる。一部の代理が原則。

<再審査請求>
 委任を受けた行政庁の処分に対する審査請求について、原権限庁が裁決した場合、不服のある処分の相手方は原権限庁にとって審査庁となるべき行政庁に再審査請求できる。

<委任における同意>
 権限の委任において、下級行政機関の同意は要しない。

テーマ:法律 - ジャンル:学問・文化・芸術

詩についての雑感
 Mさんの日記に触発されて書いてみる(Mさんすみません)。

 まず、「詩は言葉以上の言葉である」とは文学的には正しいが論理的には矛盾している。正しくは、「詩は言葉であるが、詩の言葉によって喚起される受け手の内的イメージは言葉を超えている」といったところだろうか。

 まず、言葉と、言葉によって喚起される「内的なもの」は厳密に区別されなければならない。「犬」という言葉はある説によれば犬の形相を表すのかもしれないが、「犬」という言葉によって個々の受け手が抱くイメージはさまざまである。ある人は柴犬を思い描くかもしれないし、ある人は飼い犬を思い描くかもしれない。また、犬が嫌いな人は、「犬」という言葉とともに嫌悪感を抱くだろうし、犬が好きな人は愛情を抱くかもしれない。

 さて、この「内的なもの」の広がりをどこまで許容するかによって文章の性質は異なってくるのである。

 学術論文は、内的なイメージの広がりをできる限り狭めようとする。明確な物言い、細かい説明により、内的なイメージをできるだけ画一的なものに特定しようとする。

 それに対して、詩は「内的なもの」の広がりを許容する。多様な解釈を許すような表現を用いて、受け手の内的な世界が豊かに展開されるのを予期している。受け手は詩的表現を受容して、そこから喚起される「内的なもの」を自由に展開していく。その展開の過程で、もとの表現の守備範囲を超えていくのである。これが、詩が「言葉以上」になる仕組みである。

 具体例を見ていこう。「春が転倒した」という表現を考える。表現者はある特定の「内的なもの」に直面してこのような表現をしたわけだが、当然「内的なもの」を完全に言い尽くせているわけではない。「春が転倒した」によって「内的なもの」の一断面を示したに過ぎないのである。
 ところで、この表現は様々な解釈が可能だから、受け手はそれに触発されて豊かに「内的なもの」を展開していき、表現の守備範囲を超えていく。その「内的なもの」の広がりにおいて、当初表現者が直面した「内的なもの」に接近することが可能なのである。こうして、表現者は言葉を超えたものを受け手に伝えることが場合によっては可能となる。

テーマ:詩・和歌(短歌・俳句・川柳)など - ジャンル:学問・文化・芸術

国一過去問民法(5)
<例文解釈>
 当該条項は例文に過ぎず、当事者が本当にそれに拘束される意思を有していたとは認められない、とする解釈。

<質権>
 仮装の債務に基づく質権は、担保物権の付従性より成立しない。

<承諾期間>
 承諾期間のある申し込みは、その期間内に承諾が到達しないと効力を失う。

<受領能力>
 他人の意思表示の内容を理解しうる能力。自らの行為の効果を確定的に自己に帰属させる能力である行為能力より幾分低い。
 被保佐人には認められるが、成年被後見人・未成年者には認められない。

<第三者>
 ABによって勝手に登記を自己名義にされた者は、94条2項の第三者に当たらない。

<第三者>
 詐欺によって間接的に利益を得た者は96条3項の第三者に当たらない。

<善意の第三者>
 善意の第三者が現れた以上は、虚偽表示の当事者以外の者も無効を対抗し得ない。

テーマ:法律 - ジャンル:学問・文化・芸術

日記

Something in the wind has learned my name
And it's telling me that things are not the same
--Richard Carpenter, Top of the World


有名な「Top of the World」から引用。「風の中の何かが私の名前を知っている。」

人間は気分が高まっている時、敏感に世界を感じ取ることがある。幸福の絶頂にある歌の主人公もまた気分が高ぶっていて、風について新しい発見をする。

人間は幸福な時、その幸福を、もしくはその幸福の原因を、誰かに知られたいと欲することがあるのではないだろうか。風の中の何かが「私」を認知するということは、「私」の認知されたいという欲求の反射であると思われる。

リチャードは実際、恋愛体験に際して、このような経験をしたのではないだろうか。このすぐれて詩的な一節は、リチャードの鋭い感性が受け止めた恋愛経験の一コマであるように思われる。


話は変わるが、人間の意識というものには波があるように感じる。物をつかんでいると、その触覚は、特に意識しない限り、一様に持続するのではなく、意識に上ったり上らなかったりを繰り返す。脳の生理的な仕組みによるのだろうか。

桜は初めから散っていたのだ、と唱えてみる。どんなに堅固な空間的配置を取っていようと、どんなに生気に溢れていようと、初めから散っていたのである。初めから離散していたし、初めから死んでいたのだ。

私は桜を包み込み、変容させ、廃棄しながらもその残滓を抱え込みながら生きている。私もまた桜に包まれ、桜もまた私を廃棄しながらその残滓を抱え込みながら散って行ったのである。
国一過去問民法(4)
<流動集合物譲渡担保>
 構成部分の変動する集合動産についても、種類・所在場所・量的範囲の指定などにより範囲を特定すれば1個の集合物として譲渡担保の目的となる。公示は要らない。

<効力規定>
 当該特別法の立法趣旨に照らして判断する。

<慣習によるとする意思>
 慣習の存在を知りながら、特に反対の意思を表示しない時は、これによる意思を有すると推定される。

<意思・観念の通知>
 意思の通知は、意思を伝えるものだが単に法が与えた法的効果を生ぜしめるに過ぎない。
 観念の通知は事実の通知であり法がそれに付与した効果を発生させるに過ぎない。

<動産譲渡担保>
 流質契約の禁止・質権設定者の質物占有の禁止の潜脱とも見えるが、合理的な社会的必要性に基づくもので法の理想に照らして許容される。

テーマ:法律 - ジャンル:学問・文化・芸術

journal
 午後歯医者に行った。虫歯ではないがかみ合わせの関係で歯の根元が炎症を起こしているとのこと。出かけたので、法律の勉強はする気がうせた。時間がないのに。

 「ホワイトヘッド」は、未説明の用語をいきなり出して、後でその用語を説明するといった構成がけっこうあって、本の構成としてあまり好ましくない。あと、具体例がないのでいまひとつよく理解できない。だから形而上学は困る。

 HPで今唯さんの作品を批評した。批評はいつも不満足なできである。今回は現象学の視点から書いてみたが、そもそも現象学の知識が不十分だからたいしたものが書けるわけがない。現象学は言語をどのように構成していくのか。また、現象学は作者のテクスト作成過程をどのように記述するのか。こういった問題が未解決のまま残されている。とりあえずイデーンでも読もうか。実は訳書を持っているのだ。原書まで持っている。

 舌を刃物で切るというイメージがしばしば私を襲う。理由が分からない。ぞわぞわするので、すぐに忘れようとする。強迫観念のようになっていて、危険な感じだ。
国一過去問刑法(1)
<道義的責任論>
 つきつめると、国家が倫理を押し付けることになりかねない。

<仮定的事情>

・作為犯

 死刑執行人が執行ボタンを押そうとしたら、被害者の親族がそれを押しのけてボタンを押したというケースを考える。
 「死刑執行人はボタンを押したであろう」という仮定的事情を付け加えると、「親族がボタンを押さなくても死刑囚は死んだであろう」ということになり、親族の行為と死刑囚の死に条件関係が成立しなくなってしまう。
 だが、親族の行為から死刑囚の死という結果が発生しているにもかかわらずその条件関係を否定するのは妥当でない。だから、作為犯の因果関係を論ずるうえでは、仮定的事情は考慮しない。

・不作為犯

 「期待された行為がなされたならば結果は発生しなかったであろう」というのが、不作為犯における条件関係の公式である。この場合は、仮定的事情を考慮に入れて初めて条件関係を判断できる。

<生存に必要な保護>
 生存に必要な保護をしないことによって死期が早まった場合にも、保護をしていれば死期は早まらなかったと言えるから条件関係は肯定される。

<因果関係>
 因果関係が書ける場合には未遂となる。

<等価説>
 条件説は、自然的観察からすれば、すべての条件は結果に対して同等の価値を有すると解するので、等価説とも呼ばれる。

テーマ:法律 - ジャンル:学問・文化・芸術

journal
 ある件について、自分が相手を得意げに諭している状況を思い浮かべたら、とたんに自分が卑しく思われた。上の立場から得意になって人を説教するというのは卑しい行為なのだろうか。私にはどうやらそう思えるらしい。

 眠くなって、テーブルの上に腕を置き、その上に頭を載せる。頭の重さが腕を軽く圧迫する。この圧迫がかすかに心地よい。理由はよく分からないが。

 曇り空を背景にすると雨は見えない。音だけの雨。だが、緑を背景にすると雨が見えてしまう。そこで私は少々落胆する。音だけの雨にしばらくの間包まれていたかった。


こんな感じで、日々発見したことを書いてゆこうと思う。文学の一定の部分はこういう所から始まるように思われるのだ。
国一過去問民法(3)
<54条>
(理事の代理権の制限)
「理事の代理権に加えた制限は、善意の第三者に対抗することができない。」
無過失を要求していず、110条より相手方を保護している。善意の立証責任は第三者が負う。

<権利能力なき社団の登記>
 登記官が実質的審査権を有しないため、虚無人名義の登記が発生してしまうことを防ぐため、認められない。

<1023条>
(前の遺言と後の遺言との抵触等)
「1.前の遺言が後の遺言と抵触するときは、その抵触する部分については、後の遺言で前の遺言を撤回したものとみなす。
2.前項の規定は、遺言が遺言後の生前処分その他の法律行為と抵触する場合について準用する。」
 財団法人は主務官庁の許可を受けることで設立され、それによって初めて遺言と抵触する。

<権利能力なき財団の要件>
(1)基本財産が個人財産から分離独立
(2)運営のための組織が存在

<財団法人の理事>
 理事が欠けた場合には、寄付行為に定めた理事の任免の方法に従って新たに理事を選任すれば足りる。裁判所が選任する必要はない。
 裁判所が請求を受けて選任できるのは、設立者が理事任免の方法を定めずして死亡した場合である。

テーマ:法律 - ジャンル:学問・文化・芸術

須田国太郎展
 福島県立美術館で須田国太郎展を見てきた。メモを取ってきたので、それをもとに感想を書きます。

・「アーヴィラ」
 須田は風景画を多く描いているが、基本的に彼の風景画には人がいない。感傷を誘うようなたそがれた色彩で描かれている。心の中に光が差し込んでくるような感じで、それに触発されて心の底からやりきれなさのようなものがこみ上げて来る。

・「水浴」
 人々の表情がぼやけていて、つくりものみたいだ。心のない人の群れという感じ。時間は止まっている。生活の一場面と言うよりは、何らかの儀式のようだ。須田の作品は全体的に暗い色彩と光が対比されていて、バロック絵画の影響が見られる。

・「冬」
 かろうじて2・3本の木が見えるが、半ば恣意的に黒が画面全体に塗られていて、筆の跡が生々しい。風のような黒は、冬の空気か、冬に閉じ込められた人の心か。

・「石組習作」
 石や木の内面がむき出しになっている感じ。かすかな不快感と、かすかな魅惑。

・「黒豹」
 表情が妙に人間的である。外見は豹の形をしているが、人間を描いた絵画のように思われる。むしろ、人間よりも尊い感じがした。

・「八幡平(焼山)」
 珍しく緑が多い作品。「新緑」という作品があるが、その作品よりも緑が多い。作者は何を思ったのだろう。

・「犬」
 とにかくすごい。魔に通ずる動物の一面が見事に描かれている。犬の魔力の前には、街々は後景に退かざるを得ない。

テーマ:美術館・博物館 展示めぐり。 - ジャンル:学問・文化・芸術

国一過去問民法(2)
<失踪宣告>
 失踪宣告を受けたものは、普通失踪なら失踪期間満了時、特別失踪なら危難が去った時に死亡したと見なされる。

<不在者>
 従来の住所又は居所を去って、容易に帰来する見込みのない者。
 管理者不在のまま放置することは、残された財産の朽廃をもたらし、本人や利害関係人の利益を害し、ひいては国民経済上の不利益になるから、国家が関与して財産を管理する。

<失踪宣告の取消>
 (1)失踪者が現に生存することを証明もしくは(2)宣告によって死亡したと見なされる時期と異なる時期に死亡したことの証明があるとき、本人又は利害関係人の請求によって家裁が審判をもって行う。職権による取消は認められない。公益に関するものではないから国家が介入すべきではないからだ。

<失踪宣告取消の際の返還義務>
 宣告を信頼した者の保護のため、現存利益でよい。

<目的外の行為>
 法人は追認できない。目的の範囲外では権利能力を持たないので。

<調査義務>
 理事の代表行為について、相手方は定款を調査する義務はない。理事は本来包括的代理権を有しているので。

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国一過去問行政法(5)
<法例1条>
 法律は、法律に別段の定めのない限り、公布の日より起算して満20日を経て施行される。

<法律の失効>
 限時法は、定められた時期の経過により当然に失効し、廃止行為は不必要。それ以外の場合は、失効させるために廃止行為が必要。

<原爆医療法>
 特殊な戦争被害を戦争遂行主体であった国が自らの責任で救済を図るという国家補償的側面があり、単なる社会保障ではなく、不法入国者にも適用される。

<漁業調整規則>
 外国の領海において日本人が行った漁業にも適用されるとし、属地主義を緩和した。水産資源の保護培養及び維持ならびに漁業秩序の確立という目的を達成するためには、外国の領海で行った漁業行為も規制すべき。

<行政機関>
 作用法的意義:外部関係を基準とする
 組織法的意義:事務分配の単位

<行政庁>
 税務署長や警察署長、建築主事にも、意思決定とその外部表示の権限がある場合があり、行政庁となる。

<行政指導>
 担当者(職員)の判断で行われる場合、責任者は当該担当者である。

テーマ:法律 - ジャンル:学問・文化・芸術

日記
 良い詩行が思いつかなくて窓の外を眺めていた時に思ったのだが、鳥ってあんなに簡単に飛べてしまっていいのだろうか。空を飛ぶためには、もっと大掛かりな装置が必要な気がする。あんなちっぽけな翼と筋肉だけで飛べてしまうなんて本当に驚異だ。

 さて、投稿用の詩を書き上げた。「街」というタイトル。以前書いた「海」という作品に近い雰囲気の詩である。選者が変わるから、受け入れられるかどうかはまったく分からない。というか受け入れられる自信はない。

 先月2005年度の投稿をすべて終えて、もう投稿はやめようかとも思った。結構時間がとられるし、表現が出てこなくて苦しい時もある。でも、まじめに詩を始めてたかだか一年強でやめてしまうのもどうかとも思った。投稿をやめたら自分は絶対詩から離れてしまうと思う。それはまだ早いような気がする。

 話は変わるが、内田民法って量多すぎ。読み切れるだろうか。不安である。

 あと、どうでもいいことだが、髪を切った。4ヶ月ぶりぐらいに美容室に行った。前回かなり短くしてもらったおかげだ。今回も短くしてもらった。外見にかけているお金は余りない。服も、昔買ったものを着まわして間に合わせている。
新日曜美術館
 今日は藤田嗣治だった。彼は女性の肌を透き通るような乳白色で描き、フランスで高い評価を得た。戦時中は戦争画を描き「アッツ島玉砕」のような傑作も描いた。

 「寝台の裸婦キキ」は「20世紀の美術」でも見たのだが、私はそこに、人間のモノとしての美しさのようなものを感じた。重要なのはキキの女性としての魅力ではなく、彼女の体のモノとしての魅力なのだ。そこに描かれているのはもはや人間ではなく、ただのモノである。

 「20世紀の美術」によると、エコール・ド・パリとは、両対戦間のパリで具象的な世界を追及した様々な国籍の人々の流派であり、表現主義的傾向・メランコリックな叙情性が特徴だということだ。藤田嗣治もまたエコール・ド・パリに数えられている。

 終戦後、彼はある画家から、戦争画を描いたことの罪を他の人の分までかぶってくれないかと言われたそうである。それだけではないのだと思うが、結局彼は日本に嫌気がさしたのだろう、再びフランスへと向かい、フランスに帰化する。晩年は子供を多く描いたようだ。

 彼の描く乳白色の肌は本当に魅力的だ。淡い光沢を放っていて、しっとりとした情感を誘う。自分に固有のスタイルを身につけるというのは画家にとって幸福なことなのだろうが、その固有なスタイルが成功していれば、更に幸福なことなのだろうと思う。その意味で、彼は幸福な画家だったのかもしれない。

テーマ:美術鑑賞日記 - ジャンル:学問・文化・芸術

journal
 今ある作品の批評を書いているのだが、これがなかなか楽しい。詩を書くよりも恐らく楽しい。大学時代は、レポートを書くのが唯一の(笑)楽しみだった。論文とまではいかなくても、論理的な文章を組み立てるのは楽しいことである。


 さて、感想の続きだが、吉原幸子は、「愛」だの「かなしみ」だの、生のことばを使いすぎていると感じる。もちろん、そういうことばを使わないと、言いたいことがストレートに言えないのかもしれないが、詩の技術の観点からはあまり勧められたものではない。

 小長谷清実は、「小航海26」以降のユーモラスな作品は面白いと思う。恐らく、この詩人の本領が発揮されているのだろう。珍妙な発想が良い。H氏賞をとっているが、それなりの実力はあったわけだ。

 川田絢音は、「サーカスの夜」の詩情のない散文にはがっかりしたが、「朝のカフェ」には、良い詩行がいくつか散見された。生活を描いていて、しかも生活における人との関係を描いていて、かつ、それに偏っている感じがして、特異な詩人であるように感じた。「空の時間」のシュルレアリスムは例外である。
国一過去問行政法(4)
<施策の変更>
 特定の者に対して特定内容の活動を促す個別的具体的な勧告・勧誘を伴うもので、その活動が当該施策の継続を前提として初めてそれに投入する資金や労力に相応する効果を生じうる性質のものである場合、施策の変更に賠償が必要な場合がある。

<通達課税>
 課税が通達を機縁として行われたものであっても、通達の内容が法の正しい解釈に合致するものである以上、その課税処分は法の根拠に基づく。

<退職願>
 独立に法的意義を有せず、撤回は原則自由だが、退職願を前提に進められた爾後の手続がすべて徒労に帰し、行政秩序が犠牲にされるような、信義に反する撤回は許されない。

<法の支配>
 もともとは、絶対君主の主権の行使といえども神と法の下にあるという意味。現在では、司法による立法と行政のコントロールのこと。
 「法」とは本来自然法を意味し、私人も行政もこれに従うのだから、行政に特殊な法という考えはなじまない。

<命令>
 法律の委任がなければ、義務を課し、権利を制限することができない。

テーマ:法律 - ジャンル:学問・文化・芸術

zu den Sachen selbst
 「事象そのものへ」という現象学のキーワード。客観的存在なるものを超越論的に還元して、直接経験から時間や空間、身体、命題や数などを構成していく。

 いや、でも言いたいのはそういった学問論的な主張ではなくて、生活世界にもっと注意を向けてもいいんじゃないの、ということだ。

 今日は午後になって、やる気が出なくなった。音楽を聴いてもダメだし、本も余り読めない。フリーのゲームもすぐ飽きる。ネットにつないでもつまらない。多少のつらさの伴う退屈さで、鬱に近い。この状態が明日もあさっても続くのではないかと不安になる。

 だが、勉強をしない分、生活世界に回帰することができた。思弁的な学問ばかりやっていると、どうしても生活のこまごました有様に注意が向かわないし、そこから何かを感じ取ったりもしない。だが、今日は、世界に無数にぶら下がっている、感性を刺激する襞のようなものにいくつか触れることができた。

 まず、桜が咲いた。桜の花を手にとってよく眺めてみたが、驚くほどの幾何学的な正確さで花弁が配置されていることに気づく。有機的で雑然とした自然の中には不釣合いな、秩序や単純さだった。無秩序な自然の中の例外としての秩序立った花弁。その例外がおびただしく咲き誇っていることの驚き。

 やる気が出ないので布団にくるまってごろごろしていた。何事にも触れたくないし、何事にも触れられたくない。できる限り縮こまっていたい。情報や義務は私を焼こうとする。焼かれたくない。

 そのうち暗くなってくる。闇が妙に温かいことに気づく。自分の手を見ると、既に闇に侵食されてしまっていて、よく見えない。闇はひとつの溶液のように、世界のあらゆるものを溶かしてゆく。

 文学って、暇な人がやるものなんだな〜、とつくづく思った。
国一過去問民法(1)
<債務の承認>
 時効完成前に債務を承認するのには、管理行為の能力は必要だが処分の能力は必要でない。

<保佐人の同意>
 保佐人の同意は、本人に対してしてもいいし、相手方に対してしてもいい。相手方の信頼保護が目的ではなく、被保佐人の財産保護が目的。

<取り消すことができる行為を追認するかどうかを確答すべき旨の催告>
 制限行為能力者にも、法定代理任等にも催告できる。

<任意後見契約>
 家裁による任意後見監督人の選任が、委任の効力の発生要件。

<後見の競合>
 任意後見契約を締結した本人について法定後見開始の審判が請求された場合、本人の利益のため特に必要があると認めるときに限り法定後見開始の審判ができる。

テーマ:法律 - ジャンル:学問・文化・芸術

カウンター
ブログのHIT数が10000を超えた。5ヶ月で10000は多いのか少ないのか。HPの方はもうすぐ一年だが、6000HITぐらいである。

自分で言うのもなんだが、私のブログはそんなに読んでいて面白いものでもないと思う。専門的な記事も多いし、少し考えないと分からないようなむずかしめの記事も多い。基本的に生活感というものがない。読んでいて共感できるような記事も少ないから、コメントも少ない。

そんなブログでも、読んでくださる方々がいるので、とても感謝しています。

こんな記事を書いてもらいたいというご要望があればどうぞ。

(HPの掲示板に書いたものですが、むしろブログに書くべきだったことに気づいて、こちらにもアップしました)
新日曜美術館
 今日はレオナルド・ダ・ヴィンチだった。

 彼は膨大な数の素描を残しているが、実際の絵画は20点にも満たず、未完成のものもあるということだ。

 モナリザの微笑についてはこのような記事がある。

 写真を撮られるときに微笑む人がいる。私は微笑んだりしないので、微笑む人の心理はよく分からないが、人間は微笑んでいる方が魅力的なことが多いのは事実だ。良い表情でとられたいと欲するのだろうか。

 だが、モナリザの微笑を、良い表情で描かれたいという欲求のあらわれであるととらえるのは、現実主義に過ぎる気がする。むしろ、レオナルドは微笑に女性の本質が表れると考え、モデルに微笑ませたのではないだろうか。

 微笑は女性の優しさを表すと同時に、女性の誘惑も表す。あるいは、照れ隠しの微笑として、女性の含羞をも表しているのかもしれない。

 また、我々は、人と接する時に微笑を湛えていることが多い。それは敵意がないことの表れであり、関係を円滑なものにする。微笑は対人関係において重要な役割を担っている。

 だから、描かれるという状況に即応した解釈によれば、微笑は良い表情で描かれたいという欲求の表れである。女性の本質を表現しようとしていると解すれば、微笑は優しさであり、誘惑であり、恥じらいである。人間に普遍的な現象として微笑を捉えれば、それは対人関係を円滑にする社会的な機能を持った表情である。

 凡庸なことを書いてしまったが、本当のことはたいてい凡庸だったりするからまあいいか。

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コミュニティ
 mixiというSNSにはコミュニティというものがあって、そこで多少情報を得ることができる。私は自分の入りたいコミュニティがない場合は自分で作るのだが、せっかく自分で作っても意外と人は集まらないものである。

 「詩の批評」コミュニティが49人、「現代詩文庫」コミュニティが19人、「粕谷栄市」コミュニティが1人(昨日作ったばかり)である。現代詩文庫はみんな読んでいるはずなのに、意外と人が集まらない。粕谷が好きな人って案外少ないのだろうか。

 mixiのコミュニティは、それほど活気がないと感じる。実際、大して情報を得ることができない。学術系のコミュニティでは、専門家が発言することはあまりないようだ。自分でコミュニティを作る時は、誰かすごい人が入ってきて、いろいろ教えてもらえないだろうか、と期待するのだが、期待通りにはならない。

国一過去問行政法(3)
<租税>
 納税者間の平等・公平を犠牲にしてもなお、納税者の信頼を保護しなければ信義則に反するという特別の事情があるときに、租税が免除される。
 納税者には帰責事由がないことが要請される。

<水道>
 給水契約の締結が公序良俗違反を助長する場合は給水拒否をする余地がある。
 水道契約は、契約関係であり、公の施設の利用関係ではない。

<行政財産>
 使用権者が使用許可を受けるに当たりその対価を支払っているが、その対価を償却するにたりないような期間内に、当該行政財産本来の用途又は目的上の必要を生じた場合は、補償を要する。

<行政行為>
 法律が要件・手続・形式を具体的に定めている場合は、法律上定められた形式で処分すべきであり、それ以外の方法は原則として認められない。

<貸し倒れ>
 課税対象とされた債権がのちに貸し倒れになっても、課税処分は当然には遡及して無効にはならない。だが、国は課税処分の効力を主張できず、租税は徴収できず、すでに徴収したものは不当利得になる。

<広告物>
 庁舎内での広告物の掲示許可は、掲示板の使用権を認めるものではない。庁舎などの維持管理、秩序維持上の必要・理由があるときは、当該許可を撤回できる。いつでも撤回できるわけではない。

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感想未満
 吉原幸子の詩がとてもよい。リリカルなものもあれば、認識が光っているものもある。東大の仏文卒だそうだ。それ以前に、美しく生まれた人ってうらやましい。

 小長谷清実の詩は、素人が書いたような感じだ。たまに良い表現もあったりするのだが、全体的に水準は低い。「きれい」「感情」といった語を多用するが、詩としてはどうかと思う。

 川田絢音の作品には詩情を感じない。少し腰をすえて短編小説でも書いたらどうだろうか。その方が向いている。


 そういえば私は抒情詩というものを書いたことがない。もともと冷血動物だから、感傷にとらわれることが少ないのである。もっぱら思想と認識で詩を書いているような気がする。だが、抒情詩の一つぐらい書けても別に悪くはない。今度試してみようか。
ストレス
 最近ストレスがたまっている。ネットに接続したりものを食べたり音楽を聴いたりしてこまめにストレス解消はしているのだが、それでは追いつかなくなってきた。

 そういう場合、私は電柱やら木やら布団やらを蹴りまくってストレスを解消する。実はこれが一番効果的なのだ。物に当たるのは一番よくないといわれるが、人に当たるよりも百倍ましだと思う。人に当たるのは危険でもあるしね。

 実家の布団は田舎の古い布団なので、それなりの重みがあり、蹴り応えがある。今日はバッコンバッコン蹴りまくりました(笑)

 とにかくやることがたくさんあって、それが自分に処理しきれないところまできているのである。力試しで受ける公務員試験が、目下一番の負担になっている。とても間に合いそうにない。やれるところまでやって満足するしかなさそうだ。

 楽しいことないかな〜。

 思い出したが、教習所でトラブったとき、さすがに手を出すのはまずいので相手をビビらせるために壁やドアに思い切り蹴りを入れて音で威嚇した。たまたま居合わせた教官に見つかって、「物に当たるのは一番よくない」と言われた。虫唾が走るぜ。
journal

Half my life's in books' written pages
--Aerosmith Dream On


洋楽を聴いていると、たまにすごく良い歌詞に出会うことがあります。

「自分の人生の半分は既に本に書かれてしまっている」、この発見はすばらしい。自分の人生を、例えば、出生・入学・卒業のように単純化してしまえば、人生のすべてが本に書かれていることになります。逆に、自分の人生を、ありのままに、繊細なままに捉えれば、人生のごくわずかな部分しか本に書かれていないことになります。実際の人生と言うものは驚くほど豊かで、言葉では書きつくせないからです。

この歌詞を読んで思ったのは、人間の人生というのはどれも似たり寄ったりだということです。どれも似たり寄ったりだから、他人が想像して書いた虚構の人生でさえ、自分の人生と多くの点において共通するという事態が生じるのです。


話は変わりますが、池田俊晴さんから詩誌「フットスタンプ」を送っていただきました。全体的に水準が高く、詩も文章も刺激に満ちたものでしたが、池田さんの「ハンマー」という詩が特に良かったです。ありがとうございました。
国一過去問行政法(2)
<民法110条>
 判例によれば、普通地方公共団体の長が借入金を受領した場合、権限踰越の表見代理の規定を類推適用する。

<取締法規>
 統制法規違反は無効で取締法規違反は有効なのが原則。だが、取締法規違反でも公序良俗に反する度合いが高ければ無効となる。

<滞納処分>
 滞納者の財産を差し押さえた国の地位は、民事訴訟法上の強制執行における差押債権者の地位に類する。

<村道の使用>
 村民には自己の生活上必須の行動を行いうべきところの村道使用の自由権があり、この自由権には民法上の保護が与えられ、妨害に対しては不法行為が成立し、妨害排除請求権も認められる。なんとなれば、村道の通行自由権は、「各自が日常生活上諸般の権利を行使するについて欠くことのできない要具」であるからだ。

<宅地建物取引業法17条1項・2項>
 宅地建物取引の媒介の報酬契約のうち、建設大臣の定めた額を超える部分を無効としている。

<弁護士の業務停止>
 業務停止の懲戒処分中の弁護士は弁護士としての一切の職務ができないが、裁判所がその違法な訴訟行為を看過した場合には、当該訴訟行為は直ちに無効になるわけではない。

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国一過去問行政法(1)
<積極説>
 「国家目的の積極的実現」を強調することで、そのために広い行政裁量が許容されるという議論に結びつきやすい。

<安全配慮義務>
 ある法律関係に基づいて特別な社会的関係に入った当事者間において、信義則上負う当該法律関係の付随義務。

<会計法30条>
 国の損害賠償債務は、偶発的で、多発するものではないから、行政上の便宜を考慮する必要はなく、会計法30条は適用されない。

<国有財産法18条1項>
 行政財産は貸付、交換、売却、私権の設定などをすることができない。

<調整的相殺>
 合理的に接着した時期においてなされる場合であり、しかも、その金額、方法等においても、労働者の経済生活の安定をおびやかすおそれのない場合に限って許される。

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新日曜美術館
 今日は天台宗にまつわる仏像・曼荼羅・地獄絵図などを扱っていた。

 仏像というものは特殊な芸術作品だと思う。美的機能や実用性よりも、信仰のよりどころとなるところにその本質があるのではないだろうか。

 民衆の側からすれば、いくら言葉で「阿弥陀如来」と言われても、そのままでは信仰しづらい。具体的な形象を伴った像があれば、民衆はその像を崇拝し、その像に祈りをささげればよいのである。

 また、仏像を作るのは伝道者の側からしてもメリットがある。民衆に畏敬の念を抱かせるような像を作れば、それだけ民衆を感化するのが容易になるはずである。

 仏像は、このような必要性から生まれたのだと思う。それゆえ、単なる絵画や彫刻よりも、その存在理由が明白である。

 次回から出演者が代わるらしい。節目に立ち会えたのが少し嬉しい。

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