詩とは無言に否定的に広がっていく世界への断言的肯定以外の何であろうか。(中略)否定的命題しかはらんでいない詩は、いわば散文の代用物でしかない。
谷川雁はこんなことを言っていたそうである。ここには二つのポイントがある。 (1)詩は断言である (2)詩は肯定である
ここで平出隆の「胡桃の戦意のために」の冒頭を引用する。
晴れやかな地下鉄道。晴れ渡って涯しない壁。
さて、このような詩的想像に基づく描写は果たして「断言」と呼べるのだろうか?断言というからには、地下鉄道も壁も断固として存在していなければならない。だが、詩的な存在というものは、そこまで断固として存在しているものだろうか。むしろ、詩的な存在というものは、存在の仮象をまとうことにより、その根源的な不在を絶望的に指し示すものではないのか。
次に、「詩は断言である」と「詩は肯定である」は、ある意味矛盾している。なぜなら、断言は否定だからである。人が「空が青い」と断言するとき、彼は同時に「空が赤い」「空が黒い」などを否定しているのである。
「肯定」とはおそらく文法的な肯定文のことではなくて、現実であるとかイデオロギーであるとか、既存の事実・信念体系を受け入れることだと思われる。だが、A理論とB理論が対立しているとき、A理論を肯定することはB理論を否定することに他ならない。肯定は否定と表裏一体なのである。
断言的肯定とは同時に否定でもあるので、谷川は結局詩が否定であることを克服できていない。谷川に限らず、誰でも詩が否定であることを克服することはできない。 テーマ:詩・和歌(短歌・俳句・川柳)など - ジャンル:学問・文化・芸術
|