プロフィール

sk

Author:sk
28歳。男。たまに詩を書いたりもする(筆名「広田修」)。哲学が好き。
コメント・トラックバックは歓迎します。


FC2 Blog Ranking
にほんブログ村 ポエムブログ
にほんブログ村 自作詩・ポエム
にほんブログ村 美術ブログ
にほんブログ村 哲学ブログ
にほんブログ村

カレンダー

07 | 2007/08 | 09
- - - 1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31 -

最近の記事

最近のコメント

最近のトラックバック

月別アーカイブ

カテゴリー

ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

リンク

このブログをリンクに追加する

ブログ内検索

RSSフィード

Powered By FC2ブログ

Powered By FC2ブログ
ブログやるならFC2ブログ

Albatros BLOG
日々の雑記。現代詩の話や哲学の話。文学や音楽、美術、芸術一般の話。ただただ書き捨てていくだけ。
kader0d vol.1完成!!
完成した冊子が届きました。

すでに予約されていた方には近日中に予約確認メールをさしあげます。

・詩
 佐藤雄一、志樹慧香、伊達風人、田代深子、白鳥央堂、広田修、久米一晃、安川奈緒
・小説
 白鳥央堂
・批評
 佐原怜、広田修、佐藤雄一、田代深子
・詩論
 伊達風人、佐藤雄一
・インタビュー
 安川奈緒、佐藤雄一

164ページ、600円(送料込み)

名前(ご本名)・ご住所と郵便番号・部数の3点をお書きになったうえでsgkkn@olive.plala.or.jp(広田修)までメールをお送りください。折り返しのメールで振込み先をお教えします。

詳細は、
http://kader0d.petit.cc/

***

だいぶ中身が充実しています。詩誌としてのクオリティーは高いと思います。164ページで600円は安い!まだ注文していない方は、この機会にぜひご注文ください。

***

昨日は夏バテで疲労感そのものだったのだが、冊子が届いたのでテンションがあがって夏バテがどこかにいってしまった。と思ったら夜になって欝っぽくなった(これかなり久しぶり)。疲れてるときに妙にテンションがあがったりすると、反動が来る。怖い怖い。
「卵の番人」
ベント・ハーメル監督、1995年ノルウェー

 日常生活の豊かさを感じさせる作品。途中で卵のコレクションを持った息子が登場したり、最後にはモーが旅立ったりするが、むしろそういう劇的な要素はいらなかったのではないか。

 例えば、階段の下に視点を設定して、モーが階段を下りようとするのだがやっぱりやめて部屋に戻る動作を映す。日常生活ではこのような動作がよくあるが、意外とその存在に気付いていないものだ。そして、このような動作に付随するモーの内面の微妙な動きが的確にとらえられている。

 そして、日常生活がユーモラスであることに改めて気付かされる。思えば家族と住んでいるときは、日常生活の些細なことが笑いの種になっていた。母親が電話の相手にお辞儀をしたりなど。

 鑑賞するということは対象化するということだが、日常生活を鑑賞することによって日常生活を対象化することができ、その豊かさやユーモアに改めて気付かされた。

テーマ:映像・アニメーション - ジャンル:学問・文化・芸術

ひとことダイアリー
現代詩フォーラムで書いているひとことダイアリーを載せる。


2007-08-22
誕生日に年齢が一つ増えるというのもおかしい。年齢は連続的に増えているはず。昨日は26.9いくつだったはず。
2007-08-20
血統貴族がいないのはやっぱりだめだろうか
2007-08-19
勉強しないとマジでヤバイ。
2007-08-18
夏バテ。だが友達と美術館へ行く。やる気が出ない。
2007-08-11
家業の手伝いをしたが、一向にやせなかった。
2007-08-05
意外とたくさん歩いている。部屋の中でも結構歩くし。あたりまえすぎて今まで気付かなかった。
2007-08-04
時間は流れるというよりはむしろ消え続けていると思う
2007-08-03
クーラーも扇風機もないが、うちわはある。
2007-08-02
松屋の牛めしが350円から390円に値上げしてあった。痛い。
2007-08-01
試験を重視する人たちと距離を感じてしまった。自分はたぶんロー生に向いていない。
2007-07-30
今日は寝れないかも・・・
2007-07-27
快晴だと、透明でもないのに、物が透明感を増す。
2007-07-26
朝霧が大気を水のようにする
2007-07-25
久しぶりにうろこ雲を見た気がする
2007-07-23
月がとても小さい
2007-07-16
午前中なのに午後のような気がする
2007-07-13
椎名林檎の衝撃。いまさらながら。
2007-06-03
過去作を読むと恥ずかしくなってくる
2007-05-31
窓の表面を雨の筋が流れるほど激しい雨だった
2007-05-20
クライスレリアーナが気に入っている

寺山修司について
 寺山修司は加速する。すると彼の背後から、彼以上に加速した言葉たちが彼を追い越してゆく。彼の目前で論理は怪しくねじれ、言葉たちは通常の枷から開放されて新しい飛躍的で緩やかな連合を始める。爆撃だ!彼は自分を追い越し新たに連合した言葉たちを地上に向かって投下する。永遠に燃え続ける焼夷弾だ!

 寺山修司は、あらゆる結晶の砕ける絶妙の瞬間を知っている。結晶の崩落の際に増大するエントロピーこそ彼の創造の圧力だ。彼の機知の陰には必ずこの崩壊がある。世界という鋳型に流し込む言葉たちがどれだけの熱を持ったらよいのかについて、彼ほど良く知っているものはいない。

・・・寺山の現代詩や戯曲を読んだ後での独り善がりな印象。
印象
 シューマンの交響曲第4番を聴いていたら、音がとても「みずみずしく」感じられた。弦楽器や管楽器にはこのみずみずしさがある。それに対して打楽器にはみずみずしさがない。楽音と噪音は「音の高さが明瞭であるかどうか」で区別されるというが、印象としては、この「みずみずしさ」で区別されるのではないだろうか。(打楽器の音って噪音なの?詳しく知らないけど。)

 人は移動するときに、ひたすら前へと進む。斜めに踏み出すことはそれほどない。音楽を聴いていると、「斜めへ踏み出す」ような音の展開があって面白い。要するに、意外な音のつながりである。セリー音楽は、ひたすら様々に斜めへと踏み出している。

椎名林檎について
 椎名林檎は歌うたびに分裂する。分裂して生まれた神がかった「林檎i」を、曲が終わるたびに暴力的に廃棄する。そして曲が始まれば再び分裂する。

 椎名林檎の歌詞は、自己愛の祭壇に捧げられた度数の強いカクテルである。御神体にカクテルを注いだときの化学反応の微視的な全過程、それが彼女の音楽である。

 椎名林檎は消費する。歌詞の中のイメージを消費し、自らのそれぞれの声と音を消費し、観衆の憧憬を消費する。消費の快楽こそ絶対である。

 ・・・「無罪モラトリアム」「勝訴ストリップ」「加爾基・精液・栗ノ花」を聴いたあとでの独り善がりな印象。
更新
「詩と向き合う」更新。
わからなさ

しばらく過去に書かれた詩論をネタに書いていこうかと思う。
今回は難しかったなー。だいぶ頭を使った。松浦はもっと丁寧に議論を展開したほうが良いと思う。議論の穴を私が埋める羽目になった。しかもその作業に結構頭を使った。
ドゥルーズの差異と同一性の話は知らないが、まあ良いだろう。今後の宿題にしておこう。
読んでる本
やっとのことで夏休み。試験はひたすら辛かったよ・・・

「ロダン」エレーヌ・ピネ、創元社
 「知の再発見」双書はなんだか胡散臭くて近寄らないようにしてたのだけど、図版と文章のバランスがよく、リルケの批評もスパイシー(?)でなかなかよい。ロダンの生涯と代表作がわかるみたい。

「寺山修司幻想劇集」平凡社ライブラリー
 寺山のトリッキーなプロットにただただ幻惑される。ある種の現代詩のように意味不明であり、ある種の現代詩のように読者を戦慄させる。これはおすすめだなあ。

「歴史の哲学」渡邊二郎、講談社学術文庫
 哲学書だけあって、自分なりに考えて理解しなければいけない本。もっと分かり易く書けるような気がする。たとえば歴史を論じる際になぜ自然についても論じなければならないのか、についての説明などがわかりにくい。自分で考えてやっと分かった。

「善と悪」大庭健、岩波新書
 分析哲学の思考法なので、なじみやすい。そういえば大学の専攻は一応分析哲学だったなあ、と思い出す。通りで親近感が持てるわけだ。かなり好感を持って読んでいる。

「浮雲」林芙美子、新潮文庫
 出来事の密度が高く、思想の密度は低い、というか思想はない。感覚は比較的鋭い。出来事の喚起する淡い詩情に包まれていく。

「憲法とは何か」長谷部恭男、岩波新書
 法律の本が面白いと思うようになってしまった。こんなはずじゃなかったのに。普通の憲法の基本書には載ってないことが書かれていて興味深く読んでいる。法律学万歳。
服装
 19世紀のサロンの様子を描いたフランソワ・ビアールの絵を見た。我々にとって、そこに描かれた人々の服装はなじみのないものである。だが、ビアールは、我々が現代日本の人々の服装をながめるように、サロンの人々の服装を眺めていたはずである。我々は19世紀の人々の服装に対しよそよそしさを感じる。だがそれとは反対に、ビアールは、当時の服装を当たり前のものとしてごく親しい感情を寄せていたはずである。

 「時代」という言葉は単純に期間を表すのではなく、その期間に出来したあらゆる文化をも包摂しているように思われる。それゆえ、どの時代に生きるかによって精神構造は異なってくるし、特定の服装に関する感じ方も異なってくるのである。
静寂について

有名な「4分33秒」は、観客自身が発する音、ホールの内外から聞こえる音などに聴衆の意識を向けさせる意図があり、偶然性の音楽というケージの実践・思想全体の中に位置づけて初めて意味を持つものであるが(ウィキペディア)



 所詮ケージは「音がなければならない」という強迫観念から逃れることはできなかったのだろうか。私だったら完全に無音の「4分33秒」を作曲してみたい。作曲というよりは、防音室などの環境設定になるだろうが。だいたい視覚だけで十分うるさいのである。せめて聴覚くらいは完全に無にしてもよろしいのではないかと。

 さらに視覚すらも消す。闇を作るのだ。そして無重力空間を作り出し、触覚も消す。とにかく感覚に受容されるものを極力少なくする。そして私はこう言うのだ。「これもひとつの芸術作品です」と。「無」という作品である。

***

 メンデルスゾーンの交響曲第4番第3楽章を聴き終わった後の静寂がたとえようもなく美しかった。静寂はそれまでに鳴っていた音楽をすべて吸収する。おそらくこの吸収に私は快楽を感じたのだと思う。きれいに汚れが落とされたみたいな感じである。汚れとまではいかなくとも、お絵描きソフトで適当な絵を描いた後にそれを完全消去するときのような感じ。

 刺激がなくなることは心地よいのである。それは休息の始まりだからである。