「2、アリストテレス――幸福と中庸」を途中から。
<幸福は他の何かの手段となることがないので、究極目的である。 善い人間とは、人間という種に固有の働き(エルゴン)を立派に果たす人間のことである。人間に固有の働きは理性である。したがって、善い人間とは理性的人間のことである。>
<人間は倫理的器量(勇気・節制など)を受け入れる自然本性がある。倫理的器量は習慣づけによって完成される。 中庸という倫理的器量が重要である。 思慮(フロネーシス)と倫理的器量の結合が重要である。倫理的器量には的確な判断の支えが必要だからだ。>
善い人間がすなわち幸福な人間であるとは限らない。だから、いくら理性的な人間でもそのことから直ちにその人間が幸福であるということにはならない。
人間は社会の中で試行錯誤することで、適度に勇気をふるい、適度に節制することなどを習慣付けられていく。経験の積み重ねによって自動的に中庸へと向かっていくのだ。中庸はきわめて実践的な倫理的器量であろう。
だがもちろんいつでも中庸を押し通せば万事うまくいくというわけではない。時には普段より勇敢に振舞わなければならないこともあるだろう。そのへんのさじ加減を思慮が行うのではないだろうか。 テーマ:哲学/倫理学 - ジャンル:学問・文化・芸術
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